無所属クラブ会派行政調査報告 令和6年7月29日から31日まで

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ページ番号1031971  更新日 2024年8月21日

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令和6年7月29日から31日にかけて、群馬県高崎市、五郎兵衛用水土地改良区及び長野県小布施町を視察しました。

子育てSOSサービスについて【群馬県高崎市】

調査内容

群馬県高崎市

 「高崎市子育てSOSサービス事業」の実施に至った経緯や内容、今後の課題等について、所管する福祉部保育課の課長及び課長補佐からご説明をいただいた。

実施に至った経緯及び事業の概要
 高崎市では平成30年度時点において、産後の一定期間、対象者のもとへ出向いて支援を行う「産後ママヘルプサービス」を実施していた。平成31年度から、支援の更なる充実を図る観点から、対象者や利用時間等を拡大し、利用料金も低く抑えた「子育てSOSサービス事業」を開始することとなった。妊娠期の母親や就学前児童がいる市内に居住する家庭を対象とし、サービスを受ける時間帯に在宅していることが条件であるが、利用に当たっての事前登録は不要となっている。
 高崎市社会福祉協議会が市の委託を受けて実施し、人員は嘱託ヘルパー5人とパートヘルパー11人の計16人体制(令和6年7月1日時点)。子育て経験のある40~60代が中心となっている。1日当たり2人から6人のヘルパーが待機しており、年末年始等の一部日程を除く週7日、午前8時から午後8時まで、家事支援や育児支援、子育て相談などの対応に当たっている。また、専用ダイヤルが設けられ、電話を受けてから原則1時間以内にヘルパーを派遣するスピード対応となっている一方、事前に予約することも可能となっている。なお、実際の支援件数に対する当日対応の割合は約1割で、ほとんどが事前予約による対応となっている。
 料金はサービス内容にかかわらず1時間250円で、利用回数の制限は基本的に設けられていないほか、初めて訪問する利用者宅には2名以上で対応するなど、きめ細かな気配りも見て取れる。サービス内容の概要は次のとおりである。

(1)家事支援 

  • 居室などの掃除及び後片付け
  • 食事の準備、調理、片付け
  • 衣類の洗濯及び整理
  • 食料品、生活消耗品の買出し及び公共料金などの払込み等

(2)育児支援

  • 授乳やおむつ交換、沐浴などの準備や後片付けの手伝い

(3)子育てに関する相談(日常生活における子育てに係る困りごと等)

  • 経験が豊富なヘルパーや保健師が連携して対応
 

令和元年度

令和2年度

令和3年度

令和4年度

令和5年度

令和6年度

利用件数

2,498

2,669

2,618

2,420

3,133

825

 ※のべ件数(令和6年度は4〜6月)

利用者の声と今後の課題

 利用者の声を見ると、「子どもの発熱で眠れなかったため、自分がやらなくてはいけないことをヘルパーさんにしてもらうことで、体を休めることができた」、「掃除をしたくても子どものことで手が回らず、イライラしてしまう。ヘルパーさんにお願いできて、とてもよかった」、「引っ越すことになったが、他市には『子育てSOSサービス』がないので残念」など、非常に高く評価されていることが分かった。また、本事業の存在により、第2子や第3子を検討するに至った方や、コロナ禍によって里帰りできない状況に置かれた方からも、感謝の声が寄せられているとのことである。
 なお、今後の課題としては、申込みの多い時間帯(午後4時以降)や土日に働ける人員の確保、急な支援要望への対応、離乳食対応へのニーズの高まりに対するヘルパー研修体制の充実、虐待やネグレクトに係る関係機関との連携強化などが挙げられた。一方、「夫の晩酌のつまみを作って」といった、家事支援としての線引きに困惑する要求もあるとのことで、制度の趣旨を適切に周知する難しさをうかがわせた。

所感と大府市への反映

 高崎市の「子育てSOSサービス事業」は、サービスの迅速性と広範な支援内容により、非常に高く評価されていることがわかった。その背景には、市民からの声に基づき「産後ママヘルプサービス」を大幅に改善したいという市長(富岡賢治氏)自身の強いリーダーシップがあり、結果として、事前登録なし、予約なしで電話により原則1時間以内でのヘルパー派遣体制を整備するという、他に類を見ないスピード感のあるサービスが実現している。また、利用者のニーズに応じた柔軟な対応も功を奏しており、妊娠中や産後の母親にとって、安心して育児に専念できる環境が提供されている。こうしたスピード感とサービスの充実度は、本市が令和5年から実施している「産前・産後サポーター派遣事業」でも参考にすべき点が多い。
 産前・産後においては、利用者が緊急に支援を必要とする場面も少なくないため、「産前・産後サポーター派遣事業」においても、サービスの迅速な提供が求められる。高崎市の取組から学ぶべきは、事前予約なしでも利用できる点や、利用から実際の支援開始までのタイムラグを最小限に抑えるスピード対応である。この点については、本市でも具体的な運用方法において参考となる点が多いものと考える。
 また、ヘルパーの人数や研修体制の充実、特に急な支援要望への対応についても、高崎市の事例は有益である。本市においても、更なるサポーターの確保や研修体制の充実により、利用者のニーズに適切に応えられる体制を整えることが望まれる。特に、産後の世帯が直面する様々な困難に対し、迅速で質の高い支援を提供することが、より良い育児環境の実現につながるものと考える。
 今後、本市でも高崎市の「子育てSOSサービス」のような柔軟で迅速な支援体制の構築を目指し、必要な改善を推進することが求められるものと考える。

五郎兵衛用水の「世界かんがい施設遺産」登録について【五郎兵衛用水土地改良区】

調査内容

写真

1.五郎兵衛用水の歴史
 五郎兵衛用水は、上野国甘楽郡羽沢村(現在の群馬県南牧村)出身で、後に信濃国佐久に移り住んだ市川五郎兵衛真親が、寛永3年(1626年)に小諸藩から用水開発の許可を受け、新田開発の一環として開削した用水路である。蓼科山中の湧水を水源とし、全長は20キロメートルにも及ぶ。約5年の歳月を費やした難工事の末、寛永7年(1630年)に完成した(「五郎兵衛と用水−改訂版−」伊藤一明著・財団法人信州農村開発史研究所刊)。
 千曲川両岸に三河田新田、市村新田、矢島新田(後の五郎兵衛新田)の3つの新田を開発した功績から、市川五郎兵衛は寛永19年(1642年)、小諸藩より新田内に知行地(除地=租税を免除された土地)と屋敷を与えられている(同上)。その後、寛文5年(1665年)に94歳でこの世を去るが、私財を投じて荒れ地を豊かな田園に生まれ変わらせた偉業を慕う住民たちによって、明和元年(1764年)に真親神社が建立され、その霊は神として人々の崇敬を集める存在となった。
 昭和43年(1968年)には現在の水路が新たに敷設され、五郎兵衛新田は現在、限られた生産量と素晴らしい食味から「幻の米」との呼び声も高い希少なブランド米「五郎兵衛米」の産地として、全国にその名を轟かせている。

2.「世界かんがい施設遺産」登録までの経緯
 「世界かんがい施設遺産(英語:World Heritage Irrigation Structures)」とは、かんがいの歴史、発展を明らかにし、理解の醸成を図るとともに、かんがい施設の適切な保全に資することを目的に、農業の発展に貢献したものや、卓越した技術により建設されたもの等、建設から100年以上のかんがい施設を、歴史的、技術的、社会的価値の観点から、国際かんがい排水委員会(ICID)が認定、登録する制度で、平成26年(2014年)に創設された。農林水産省ウェブサイトによれば、令和5年(2023年)までの国内の登録件数は51に上り、「かんがい施設の持続的な活用・保全方法の蓄積」、「研究者・一般市民への教育機会の提供」、「かんがい施設の維持管理に関する意識向上」、「かんがい施設を核とした地域づくりに活用されること」が期待されている。なお、愛知県内では、入鹿池(犬山市)、明治用水(安城市・岡崎市・豊田市・知立市・刈谷市・高浜市・碧南市・西尾市)、松原用水及び牟呂用水(豊橋市・豊川市・新城市)の3地点が登録を受けている。
 五郎兵衛用水は平成30年(2018年)に登録申請が出され、8月14日にカナダのサスカトゥーンで開催された第69回ICID国際執行理事会で認定、登録が決定された。17世紀初頭に、人々の生活水準の改善、農業生産の安定化と所得の倍増をもたらした優れた実例として、川の上の水路橋や300mもの距離を掘り抜いた隧道など、正確な測量技術や革新的な土木技術が高く評価された。

所感と大府市への反映

 地域の偉人として市川五郎兵衛真親の功績を顕彰、継承する取組は長い歴史に裏打ちされており、現水路の完成から5年後の昭和48年(1973年)には、五郎兵衛用水土地改良区の初代理事長の尽力により、「五郎兵衛記念館」が開館している。用水開削と新田開発の偉業を讃えることはもちろん、学術研究に寄与するため、五郎兵衛新田村及び周辺地域に関する古文書約6万点を収蔵し、その一部を展示。これら膨大な史料は、昭和57年(1982年)に初版が刊行され、その後も二度にわたって改訂版が出された「五郎兵衛と用水」など、後の郷土史研究の確固たる礎となった。「古文書調査報告書」の刊行は今も続いており、記念館では、古文書調査報告会や「五郎兵衛用水を歩く会」の開催、地元小学生の用水学習など、文化財保護行政や教育行政と連携した取組も行われている。
 平成17年(2005年)、農林水産省の「疏水百選」に応募した際、道の駅祭り等の様々な機会を通じて、インターネットやハガキ等での投票が市民に広く呼び掛けられ、結果、長野県でトップの得票数(全国14位)を獲得したのは、先に述べたような長年の取組がバックボーンにあるものと推察する。「世界かんがい施設遺産」への登録も同じく、先人が遺した歴史資産を保護し、継承し続ける地道な取組の先に辿り着いた大きな成果に違いない。
 町村制施行後も単独の自治体として存続した五郎兵衛新田村が、昭和30年(1955年)、中津村及び南御牧村との合併により浅科村となり、また、平成17年(2005年)には平成の大合併で佐久市の一部となって以降も、市川五郎兵衛の偉業とともに五郎兵衛用水が貴重な歴史遺産として受け継がれてきたのは、先人たちの数えきれぬ労苦の上に今の郷土があるという謙虚さとリスペクトの精神が、地域の中で継承され続けてきた証ではないか。
 本市では、令和6年第1回定例会の一般質問において、新たな大府市誌の編さんについて実施計画で検討していく旨、市長答弁があったところだが、世代を超えた市民の共有財産である郷土の歴史を、確かな記録として次の世代につないでいく上で、先人に対する謙虚さと敬意に立脚した真摯な姿勢こそ、その前提にあらねばならぬということを、この視察で強く感じた次第である。

景観への取組について【長野県小布施町】

調査内容

写真

 小布施町の景観に関するまちづくりの経緯や内容、今後の課題等について、所管する建設水道課長及び企画財政課企画交流係職員からご説明をいただいた。

1.まちづくりの経緯及び内容
 小布施町は、長野県東北部、長野盆地の東縁に位置し、面積は19.12平方キロメートルで、県内最小の町である。四方を山と川に囲まれた地域で、南を流れる松川はかつて氾濫を繰り返し、土壌を強酸性の砂礫質に変えたことで、生育に適した栗の名産地となった。
 小布施は古くから北信濃の物産・交易の拠点として栄え、多くの豪農・豪商を抱えた。江戸時代末期に小布施を拠点に豪農・豪商として活躍した高井鴻山は、晩年の葛飾北斎を小布施に招き入れ、作品制作を支援している。こうした背景から、小布施町では「栗」と「北斎」をテーマとしたまちづくりが展開されてきた。
 高度経済成長期には、都市部への人口流出による人口減少・過疎化が進んだ危機感から、小布施町開発公社による宅地造成と分譲を開始し、その余剰金を活用して町にゆかりのある葛飾北斎の作品の保存展示を目的とした「北斎館」が1976年に建設された。以降、多くの来訪者が訪れるに至り、その受け入れのための新たなまちづくりが進められることとなった。
 1980年代には、まちづくり基本構想により歴史文化ゾーンを設定し、歴史的な景観をとどめている町の中心部地域で、より快適で個性豊かなまちづくりを進めるために、行政を含む6地権者による「町並修景事業」が始まった。この町並修景事業は、仕掛け人の一人だった建築家の宮本忠長氏が唱えた「内は自分たちのもの、外はみんなのもの」というコンセプトのもと実施され、その結果、私有地を共同の空間として利用した散策路「栗の小径」などが整備された。
 1986年に策定された第二次小布施町総合計画・後期基本計画では、「うるおいのある美しいまち」の一章を設け、これからのまちづくりの指針として「環境デザイン協力基準」(骨子)が設けられた。次いで1987年の「ホープ計画(小布施町地域住宅計画)」の策定に際して「環境デザイン協力基準」がより具体化され、これに沿って1989年には、小布施の歴史と気候風土に適合した住まいづくりに関する助言を提供する「住まいづくり相談所」が開設された。現在では町内で建築物や工作物の新築、増築、改築等を行う際には「住まいづくり相談」を受けることが義務化されている。
 1990年には、うるおいのある美しいまちづくりの実現に著しく寄与していると認められる者に対する助成・表彰制度を盛り込んだ「うるおいのある美しいまちづくり条例」(協力ベース)が制定された。さらに、1992年には、それぞれの地域の持つ個性や特色を生かした快適で美しいまちづくりを進めるため、地域住民の理解と協力を得るためのテキストや研修用資料として景観づくりの指針「住まいづくりマニュアル」「広告物設置マニュアル」を発行している。このように小布施町では、民間の理解と協力を得ながら、歴史や風土を大切にした家づくり、町並みづくりが1980年代より進められてきた。
 2004年に制定された景観法により、全国規模でそれぞれの地域が特性を生かした景観づくりが推進されている中、小布施町は2006年に景観行政団体となった。これにより「うるおいのある美しいまちづくり条例」を全部改正するとともに、「小布施町屋外広告物条例」を制定し、条例においても協力ベースから規制を盛り込んだ内容としている。

所感と大府市への反映

 今回の視察を通じて、小布施町が「栗」と「北斎」をテーマとしたまちづくりを中心に、地域の歴史や文化、自然環境を大切にしながら景観を保全・創出している様子を深く理解することができた。特に、町並修景事業や住まいづくり相談所の設置、さらには「うるおいのある美しいまちづくり条例」に基づく景観賞の表彰制度など、具体的かつ実効性のある施策を積極的に展開している点が印象的であった。
 小布施町の「内は自分たちのもの、外はみんなのもの」というコンセプトは、地域住民が景観保全の主体であることを強調しており、これが住民の協力と理解を得て実現していることが非常に参考になった。このような取り組みによって、小布施町は観光地としての魅力を高め、多くの来訪者を引き付けている。
 本市では、令和3年度に「大府市景観計画」を策定し、地域別の景観特性を整理するなど、四季折々の豊かな景観資源を再認識し、市民と協働して景観を通じたまちづくりに取り組んでいる。しかし、現行の景観計画は具体性に欠け、市民の間で何が魅力的な景観であるかについての共通認識を得るには至っていない現状がある。
 小布施町での「小布施景観賞」のような表彰制度は、景観の重要性を市民に認識してもらい、具体的な行動を促す有効な手段と考えられる。本市においても、このような取組を導入し、市民一人一人が景観保全の主体であることを強調することが必要だと考える。
 また、本建築物や工作物の新築、増築、改築等は周辺の景観に大きな影響を及ぼす可能性があるため、事前協議や届出によって一定のコントロールを行う仕組みを整備することが本市でも求められる。そのためには、景観計画に法的な実効性を持たせるための制度設計が必要であり、小布施町の事例を参考に、市民の理解と協力を得ながら実効性のある景観計画の在り方を検討していくことが重要である。
 無論、大府市は観光が主たる産業ではないため、前提条件は異なるが、小布施町の「内は自分たちのもの、外はみんなのもの」という理念は、市民一人一人が景観を保全・創出する主体であるという点で大いに参考にすべきである。市民の協力を得て、美しい景観を次世代に引き継ぐための具体的な施策を展開していくことが、本市の景観価値の向上につながると確信している。

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